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東京地方裁判所 昭和41年(合わ)386号 判決 1967年1月27日

被告人 中村信雄

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある果物ナイフ一丁(白柄の折れたもの・昭和四一年押第一七三〇号の一)を没収する。

押収してある手提鞄一個(前同号の二)、領収証綴一冊(同号の三)、書籍二冊(同号の四および五)、春画一枚(同号の六)、眼鏡一個(同号の七)、拾円硬貨二枚(同号の八および一三)並びに手帳一冊(同号の九)を被害者奥井市太郎の相続人に還付する。

訴訟費用は被告人に負担させない。

理由

(被告人の身上・経歴等)

被告人は、庭師をしていた父中村丹蔵、母きくの六男、一〇人兄弟の末子として本籍地において出生し、昭和一六年三月地元の第一吾嬬尋常小学校を卒業して精工舎に工員として勤務したが、小学生の頃から盗癖を有し、職場に落着かず、加えて、同一六年六月愛慕する母きくの事故死に遭うなどの不運もあり、成長期の人格形成に一層暗影を投ずることとなつて、窃盗の非行を重ねるに至り、同一七年頃多摩少年院に収容されたのを皮切りに、いずれも窃盗罪により、同一九年五月東京区裁判所において懲役二年以上四年以下(戦時窃盗罪もあり。)に、同二一年五月同区裁判所において懲役四年以上七年以下に、同二五年一一月台東簡易裁判所において懲役一年に、同二八年二月葛飾簡易裁判所において懲役一年三月に、同二九年一〇月同簡易裁判所において懲役一年六月にそれぞれ処せられ、横浜、函館(少年)、府中、長野、前橋等の各刑務所で服役するなど生活の大半を施設や囹圄の内で過し、同三一年四月前橋刑務所出所後も僅か五日目にして男色交渉のもつれから男娼の生命を奪うという殺人の罪を犯し、同年九月六日東京地方裁判所において懲役一〇年に処せられ、同四一年五月二九日千葉刑務所を満期出所した。その多くを浮世から隔離された冷たい壁、厚い塀の中で送つた如上の生活歴のため、自らの家庭を持ち得ず、また別に一家を構えている兄弟とも自ら疎遠にならざるをえなかつた被告人は、出所後長兄中村鉱一(当五九年)方で一泊しただけで、東京都文京区湯島所在の更正保護会東京実華道場の宿泊保護を受け、更にその紹介で都内の飯場、安宿に泊り込んで人夫、工員等を転々したものの、いずれも長続きせず、同年七月一一日頃には、また小刀「肥後守」を携帯していたことから銃砲刀剣類所持等取締法違反で検挙されたこともあつたが、他方永らく人の情に飢えていただけに肉親への慕情は絶ちきれず、長兄のほか義兄下地恵貴方を訪ねたところ、世間体もありこれを迷惑に感じた同人等は同年六月上旬頃次兄中村銀蔵と相談のうえ更生資金として現金一万円を恵んだうえ、以後兄弟宅への出入りを差し止めるという挙に出たため、折角求めた愛情の絆も断たれて憂悶寂寞の日々を送るうち、たまたま、義兄の小牧幸康(当四六年)、直上の姉愛子の夫婦が江東区南砂町の都営住宅に住むことを知り、同年六月二三日頃訪ねたところ、同女に同情されて月末までの宿泊を許されたうえ、右幸康からも真面目に働きさえすれば、休みの前日位は泊りに来てもよいと言われるなど温く迎えられたことに打ち喜び、蘇生の思いでその後も屡々同家に出入して稼いだ金からその家計を助け、子供達に小遣銭を与えるなどして取り入つていたが、同家の空気に馴染むうち、右幸康の職人気質の言行に甚だしく高圧的、独善的、打算的なものあるとして、延いてはこれが姉君子の懊悩苦慮の因となつているばかりか自己の右好意すら無視せしめているものと独断すると共に、自己もまた子供扱いにされ、白眼視されているものと思い込み、次第に右幸康に反感を抱くようになつた。かくするうちに、被告人は、同年九月二七日夜右小牧方を訪ね、仕事先で同僚と口論して現場を替えて貰つたことを右幸康に話したところ、却つて同人からたしなめられたことに憤慨し、強く反撥して口論となり、罵言を浴せられたうえ、はては同人から今後の出入りを断られるに及んで憤懣やる方なく、その場はともかく漸くこれを抑えて同家を辞したものの、今や身内からも全く見放された天涯孤独の境涯に陥つた暗澹たる前途に痛く悲観し、自棄的になつて思案するうち、これも一図に右幸康の人の好意を無視した態度によるものと思い做して同人を深く恨み、ひと思いに同人を殺害しようと考えたものの姉君子の立場を思うとそれも儘ならず、いつそのこと耳目を聳動する如き大事件を起して世間を騒がせその報道により右幸康に精神的打撃を与え、もつて仕返しをしようと決意するに至つた。

(罪となるべき事実)

第一、かくて被告人は、同年九月三〇日中央区銀座三丁目所在の内外タイムス新聞社に赴き、かつての男娼殺害事件の新聞記事を閲覧して、事件の反響の大なることを確認して決意を固め、翌一〇月一日関係先を訪ねて、身辺を整理し、暗に覚悟の程を述べるなどするうち、所持金も残り少くなつたことから、かねて買い求めて、常時ズボンのポケツト内に携帯していた刃体の長さ六・五糎の果物ナイフ(昭和四一年押第一七三〇号の一)で通行人を脅迫して金品を強取しようと企て、同日午後七時過頃から葛飾区内を徘徊して通行人を物色中、翌一〇月二日午前零時三〇分頃、同区堀切三丁目一一番地民衆病院前附近のバス通りにおいて、酩酊して帰宅途上の税理士奥井市太郎(当六八年)が手提鞄(前同号の二)を提げているのを認め、同人から、金品を強取しようと考え、これを追尾し、同人が本田警察署の手前附近から路地に入るや、近寄つて肩を組み、家に送り届けてやるなど偽つて同人を同区四ツ木一丁目四〇番六号先高砂金属株式会社第二工場正門前路上に誘い込んだが、同所附近で、同人が急に倒れそうになつたので、両手で抱きかかえたところ、却つて同人から「何をするんだ」と文句をつけられたことに立腹し、かくなるうえは、前記果物ナイフで同人を殺害して金品を強取しようと決意し、気を落ち着けるため、右工場正門前側溝のどぶ川に向つて立小便を始めたところ、右奥井も傍に並び、前記手提鞄を左手に提げたまま立小便を始めたので、これぞ好機とばかり、先に小便を済ませるや、同人の背後に廻り、前記果物ナイフを取り出して刃を開き、指紋を拭き取つたうえ、かねて同房者から針一本でも項を刺せば絶命する旨聞知していたことを想起し、立小便中の右奥井の背後からその左肩に左手を掛け、右手に持つた右果物ナイフを同人の後頸部正中附近を狙つて力一杯突き刺し、これによる頸髄損傷の致命傷のため意識不明となつて倒れんとする同人を右どぶ川縁の路上に仰向けに引き倒し、その着衣ポケツトから同人所有の現金三〇〇円、煙草一箱を抜き取り、更に現金二、〇〇〇円位(前同号の八および一三はその一部)、領収証綴一冊(同号の三)書籍二冊(同号の四および五)、春画一枚(同号の六)、眼鏡一個(同号の七)、手帳一冊(同号の九)等各在中の同人所有の前記手提鞄を取り上げて以上の各金品を強取したうえ同人を前記どぶ川に突き落し、その頃同所において、同人を土砂吸引に基く気道閉塞により窒息死させて殺害し、

第二、一、同月二日午前二時三〇分過ぎ頃、江東区大島八丁目三八番二一号宮藤知信方において、同人所有のジヤンパー一着(時価五〇〇円相当)を窃取し、

二、同月三日墨田区東向島二丁目四二番一七号株式会社佐藤型押工場車庫において、同会社(代表取締役佐藤ふみ子)所有の足踏二輪自転車一台(時価四、〇〇〇円相当)を窃取し、

三、同月五日墨田区八広一丁目一六番二六号伏見旅館内において、泊り客梶川忠男所有の現金一九〇円位在中皮製の小銭入れ一個(時価一〇〇円相当)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為中、第一の事実は刑法第二四〇条後段に、第二の各事実は同法第二三五条にそれぞれ該当するところ、判示第一の強盗殺人罪につき所定刑中死刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが、同法第四六条第一項に則り没収のほかは他の刑を科さないこととし、押収してある果物ナイフ一丁(白柄の折れたもの。昭和四一年押第一七三〇号の一)は判示第一の犯罪行為に供したもので、被告人以外の者の所有に属さないものであるから、同法第一九条第一項第二号、第二項本文によりこれを没収することとし、押収してある主文第三項掲記の各物件は判示第一の強盗殺人罪の賍物であつて被害者に還付すべき理由が明白であるから、刑事訴訟法第三四七条第一項により、これを被害者奥井市太郎の相続人に還付することとし、訴訟費用については同法第一八一条第一項但書を適用して、被告人にこれを負担させないこととする。

(犯罪の情状並びに刑の量定事情)

本件は、判示の如く、窃盗の前科五犯に加えて、殺人の前科ある被告人が、その一〇年の刑期を終えて出所後僅か四ケ月余にして再度殺人罪を犯すという異例、かつ、まことに稀有ともいうべき事案であつて、しかも、その被害者たるや、一顧だも恨みなき単に通行中の善良なる一市民であり、その遺族に与えた物心両面の衝撃また言うところを知らぬものある、まことに兇悪極まる犯行であつて、その態様たるや、判示の如く恰も熟練した屠殺者の如く、終始冷静なる計算計画の上に立ち、しかも、一撃によつて頸髄損傷の致命傷を与え、金品奪取後なおも被害者をしてどぶ川の汚物の中に突き落して非業の死に至らしめる等まことに残忍、非道を極め、人をして目を掩わしむるものがあり、またその動機においても義兄に対する殺意、怨恨をいわれなく無縁の第三者に転嫁して、その貴重なる生命を犠牲にして耳目を聳動する大事件を起し、その報道によつて復讐を企てると共に併せて物欲を満たそうとするまことに常軌を逸したものであつて、一点の同情の余地なく、その遠因がたとい義兄小牧に対する恨みに在つたにせよ、その軋轢も、むしろ極端に主観化した被告人の自己中心的態度にも非なしとしないばかりか、直ちにこれを殺意に転ずるが如きは極めて軽率かつ危険であるといわなければならず、かつ、犯行後の行動も、更に果物ナイフ(昭和四一年押第一七三〇号の一二)を購入して同種の犯行の機会を窺い、その間判示の如き窃盗を反復するなど、まことに残忍冷酷、無情かつ大胆不敵と評するのほかなく、本件が、右の如く、事案の性質極めて重大なるに鑑み、当裁判所も慎重に審理を重ね、虚心に被告人の弁解に耳を傾け、もつて有利な情状の発見に努め、殊に、被告人が一二才にして愛慕する母を失い、度重なる前科のための肉親の愛情から見放されるなど恵まれぬ境涯にあることに同情し、かかる境遇や長期の服役生活が本件犯行を犯すに至らしめた被告人の人格形成に強く影響していることに想到し、肉親や義兄小牧が被告人に対し今少しの愛情と慎重さをもつて臨み得なかつたかを惜しみ、かつ法律上の自首には程遠いものの、新聞記者の説得に応ずるに及んだ被告人の心底になお人間性の残れるものと認めるなど、およそ被告人にとつて有利と思われる一切の事情を酌み、もつて反省悔悟の言葉を述べる被告人の処遇につきしずかに弁護人の心籠れる所論にも耳を傾けて万全の考慮を廻らすと共に、およそ死刑が国家権力により貴重な生命を断つものである性質に鑑み、その適用については、慎重のうえにも更に慎重を期し、能うる限りこれを謙抑控制すべきものであることを基調として、被告人の贖罪の道になお残されたるものあるかにつき逐一検討してみたのであるが、

前叙の如き、犯行の動機、態様方法、被害の結果、犯行後の状況、被告人の前科、前歴並びに性格等に照らすときは、

不幸にして、本件は、被告人が自らの生命をもつてその罪を償うのほかに道はない場合に該当するものと認めざるを得ない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺五三九 小瀬保郎 高木俊夫)

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